大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)1372号 判決 1961年7月10日

控訴人 被告 和歌山市教育委員会 外二名

訴訟代理人 松本正一 外一二名

被控訴人 原告 田中資郎 外八名

訴訟代理人 浪江源治 外七名

主文

控訴人等の本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人等の負担とする。

事実

控訴人等代理人は、まず、「原判決を取り消す。被控訴人等の本件訴を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、本案につき、「原判決を取り消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張は、左に記載するもののほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

本案前の双方の主張

一、控訴人がわの本案前の抗弁

(一)  本件専従休暇の申出に対して承認又は不承認を決することは、公務に支障があるかどうかという行政上の判断に基いて、服務監督者たる当局の行う行政上の服務監督行為そのものであり、いわゆる特別権力関係内部における行政庁の監督権の発動に外ならない。その承認は、これを申し出た職員に対し、その職員が本来負う職務専念義務を免除するという効果を有し、その不承認は、当該職員をしてその本来の職務に専念すべき地位をそのまま継続させるにとどまり、これによつて、公務員たる職員の身分になんら変動をおよぼすものではないから、地方公務員法(以下、地公法という)第四九条にいう不利益処分にも該当しない。すなわち、専従休暇不承認の行為は、特別権力関係における純然たる内部規律に関する行政上の服務監督行為そのものであり、行政固有の領域の措置であつて、抗告訴訟の対象となる行政庁の処分ではない。したがつて、本訴は、裁判所の審査権がおよばないものとして却下されるべきである。

(二)  仮りに、本件につき、裁判所の審査権がおよぶとしても、抗告訴訟は、行政庁の違法な処分により権利を侵害されたとする者が、その救済を求める場合に許されるものである。ところで、職員の専従休暇の承認に関する利益は、法が服務監督者に専従休暇を与える権限を付与していることの反射的利益にすぎないのであり、職員が専従休暇の申出を拒否されたとしても、その効果は、前述のごとく、当該職員をして本来の職員としての職務に専念すべき義務をそのまま継続させるにとどまり、職員の身分になんら不利益な変動をともなうものでないから、当該職員が不承認処分によりなんらかの権利又は法律上の利益を侵害されるということは、あり得ない(なお、ここに原判決の事実摘示の関係部分を引用する)。この点は、従来から職員団体の専従役員になつている職員についても、同様である。すなわち、

専従休暇の期間は、一日を単位として、一年をこえない範囲で定められるものであつて(本件各市の「職員団体の業務にもつぱら従事する職員に関する条例」の二条二項前段又は二条後段)、一年限りのものであり、実際においても、毎年三月に、そのとおり実施されている。したがつて、すでに一年を限つて許可されている専従休暇の期間が満了すれば、従来の職務専念義務の免除がその効力を失い、その職員は、当然、自動的に、職務に復帰しなければならないのである。前年度専従休暇を与えられていたからといつて、必ずしも、次年度も専従休暇の承認が与えられるとは限らず、新たに専従休暇の申出をし、その承認を得てはじめて、その効果として次年度の職務専念義務を免除されるのである。次年度の専従休暇の申出が許可されなかつたからといつて、そのことのゆえに、職務専念義務を有するにいたるというわけではなく、次年度についてはもともと職務専念義務を負うているのである。したがつて、次年度の専従休暇の不承認処分により、当該職員の従来の地位とか権利を侵害するということは、あり得ない。

かくのごとく、本件において、被控訴人等が控訴人等の不承認処分によつて自己の権利を侵害されたと認むべき根拠がないから、本訴は、訴の利益を欠き、不適法として却下されるべきものである。

(三)  被控訴人等の承認申請にかかる本件専従休暇は、昭和三四年度のもので、その休暇期間は一カ年であるから、終期は昭和三五年三月三一日で、同日後におよばないこと、明かである。ところで、専従休暇の承認は、将来の期間につき与えられるものであるから、右申請にかかる専従休暇期間が経過していない昭和三五年三月三一日までならともかく、右期間経過後の今日においては、たとえ、本訴において、被控訴人等の請求が認容され、本件不承認処分が取り消されたとしても、それによつて、不承認処分のなかつた状態が形成されるにすぎず、直ちに本件専従休暇が承認されたことにならないのは勿論、今後控訴人等において、昭和三四年度の専従休暇を承認したところで、なんら実質的の意味を有しないのである。したがつて、本件専従休暇不承認の行政処分は、右期間の経過により、実質的存在を失い、これを取り消すべき具体的利益を喪失してしまつているのであるから、本訴は、本案判決を求める法律上の利益を失つたものとして、却下されるべきである。

この点に関する被控訴人等の主張に対する反論として、

1.本件専従条例による専従休暇は、前述のごとく一年限りのもので、特殊な「更新」制度を認めたものではないから、本件不承認処分が昭和三五年度の被控訴人等に対する専従休暇不承認処分の原因となつたとは、いえないし、又本件において、仮りに、取消判決が確定したとしても、その拘束力は、昭和三五年度の処分にはおよばないから、昭和三五年度の処分に関連して、本件の訴の利益が生ずることはない。

2.仮りに、被控訴人等に対し、懲戒処分あるいは昇給昇格等給与の面における不利益な取扱が予定されているとしても、それは、本件不承認処分の取消とは、いわば間接的関連を有するにすぎないものであるし、本件不承認処分が取り消されたとしても、それは、直ちに昭和三四年度の専従休暇が承認されたことにはならないのであるから、被控訴人等が控訴人等の承認を得ることなく、職務専念義務に違反して事実上専従活動に従事した期間を、昇給昇格等の期間に算入しないのは、当然である。さらに、懲戒処分については、仮りに、将来、そのような処分がとられるとしても、被控訴人等はそのときに処分そのものを争うことができるのであつて、本件による必要はない。したがつて、右のごとき事情をもつて、本件の訴の利益があるものとは、いえない。

3.専従休暇の承認が職員の職務専念義務を免除するという立法趣旨からしても、その不承認処分は個別的労働関係としてとらえるべきものであつて、集団的労働関係としてとらえるべきものではないのみならず、本件不承認処分により和教組自体の活動に支障を来たすことがあるとしても、それは和教組自体の事実上の利益にすぎないから、和教組に関することをもつて、被控訴人等自身に訴の利益があるものとすることはできない。

(四)  本件不承認処分が、仮りに、不利益処分であるとしても、被控訴人等は、行政事件訴訟特例法第二条の規定に従い、訴願裁決を経た後でなければ、その取消を求める抗告訴訟を提起することが許されないのであり、本件は右規定の但し書にいう、著しい損害の生ずる場合にも当らないから、本訴は前記訴願裁決を経ていない違法がある。

二、被控訴人がわの、右抗弁に対する主張、

(一)  本件が抗告訴訟の対象となり得ないとの主張について

控訴人等教育委員会と被控訴人等教育公務員との間に、特別権力関係における包括的支配の理論が全面的に妥当するかは、教育公務員の特殊性よりみて、甚だ疑問であるが、仮りに、その理論が適用されるとしても、それは、あくまで「勤務関係の場」における「上命下服」の問題であり、しかも、それは、その限界として、特定の目的のために客観的に必要な範囲限度にとどまるべく、かつ、憲法の保障する基本的人権に対し重大な侵害を加えることを得ないという制約を有する。

ところで、地方公務員たる市町村の教職員が、地公法において、その職員団体の結成および加入を認められているのは、憲法第二八条の保障に基く、勤労者としての教職員の基本権に属し、かかる教職員の結成した職員団体は、給与、勤務時間その他の勤務条件につき、当局と交渉し得る権利を有する。そして、かかる職員団体の業務にもつぱら従事する職員の存在は、労働組合活動の成長、発展に当然かつ必然のものとして、承認されなければならないものであつて、控訴人等関係の各市条例も、団結権保障の法体系の一環として、職員の専従休暇制度を保障しているのである。したがつて、右条例にもとづく職員の専従休暇の申請は、かかる職員団体の代表者又は役員として活動する権利としてとらえるべきものであつて、団結権に附随する権利として、基本的な権利性格をもつものであり、これに対応して、服務監督者たる控訴人等は、その申請に対し、公務に支障のない限り、専従休暇を与えるべく覊束義務づけられているのである。

本件の専従休暇不承認処分は、右のごとき権利の侵害に関する問題であつて、特別権力関係において具体的な法令の根拠なくして包括的な支配権の行使せられ得るような、純然たる内部規律に関するものではない。したがつて、本件不承認処分は、それが地公法第四九条の不利益処分に該当するかどうかの点にかかわりなく、正しく裁判所における抗告訴訟の対象となり得べきものである。

(二)  権利侵害がないから、本訴は訴の利益を欠く、との主張について、

職員の専従休暇が、団結権保障の上で職員に与えられた法令上の具体的権利であることは、すでに述べたとおりである。したがつて、本件不承認処分は、専従者として選出された被控訴人等自身の、職員団体の業務に専従活動する権利を侵害するとともに、被控訴人等およびその所属する職員団体の団結権の侵害におよぶものである。本件不承認処分によつて職員としての身分上に変動を来たさないことは、控訴人がわのいうとおりであるけれども、右のごとき権利侵害が存在する以上、本訴が訴の利益を欠くという控訴人等の抗弁は、理由がない。

(三)  抗告訴訟係属中における時日の経過により、本訴を維持する利益がなくなつた、との主張について、

1.行政事件訴訟特例法第一二条にいう、確定判決の関係行政庁に対する拘束力の趣旨については、関係行政庁が判決の趣旨に従つて行為すべき義務を負うものと解すべきものである。これを本件についてみるに、本件不承認処分取消の判決が確定するにいたつた場合、控訴人等は、被控訴人等に対し、不承認処分を違法とする判決の実質的判断の趣旨に従つて専従休暇を承認し、その関係について右承認を与えたと同様の効果を行政上、法律上、生ぜしめねばならない義務を負うものである。したがつて、本件取消判決の確定によつて、被控訴人等は、実質的に、本件専従休暇の承認を得たと同様の権利と利益を取得するものであつて、控訴人がわの主張するような、専従休暇許否のない状態にもどるというがごときものでは、決してない。

2.被控訴人等は、いずれも、将来数年にわたり和教組の専従職員に就くことを予定せられていたもので、従来、一カ年の専従休暇期間の経過後も引き続き、更新を重ねて専従休暇を得て来たものであるが、昭和三五年度の被控訴人等の専従休暇申請に対して、控訴人等は、いまだにこれを承認しない。したがつて、被控訴人等は本訴を維持する利益を有する。

3.控訴人等の補助参加人である県教育委員会は、被控訴人等の懲戒処分を意図し、控訴人等に対して処分の内申書の提出を要求し、すでに昭和三五年四月中旬、控訴人等からその内申書が提出されており、本件判決の結果如何により、直ちに被控訴人等に対する懲戒処分を発令せんとしている。

また、被控訴人等の本件専従休暇の期間は、今後職務に復帰した場合においても、昇給、昇格、期末勤勉手当支給等の期間に算入されなければならないのに、控訴人等および補助参加人は、本件の違法な不承認処分を理由として、右専従期間を算入しないという明白な態度を示している。

これらの被控訴人等に対する不利益取扱が、現実に行われている限り、被控訴人等は、これらの違法を排除するため、訴の利益を有するものである。

4.控訴人等は、昭和三四年度以降被控訴人等の専従休暇の申請を拒否し、現に和教組および被控訴人等の団結権を侵害しているので、被控訴人等は、これらの侵害を排除するためにも、本訴を維持する利益を有するものである。

(四)  訴願の前置を要するとの主張について

1.行政事件訴訟特例法第二条にいわゆる訴願前置主義は、法令の規定によつて訴願が認められている場合に限つて適用があるものであるが、地公法第五二条以下の職員団体の各規定をはじめ、専従休暇に関する本件各条例にも、訴願を認める規定がないし、本件不承認処分は、訴願法第一条の制限列挙するいずれの事項にも該当しない。したがつて、本件不承認処分に対しては、右特例法第二条の適用はなく、直接第一次的に裁判所に提訴し得るものである。

2.仮りに訴願を要するとしても、被控訴人等は、昭和三四年四月一三日、和歌山県人事委員会に対し、本件専従休暇不承認処分を違法として、適当な措置のとられるべき旨の審査の請求をなしているから、前記特例法第二条の訴願前置主義の立法趣旨に即応した不服申立をしているのであつて、右第二条に規定する要件の欠缺はない。しかも、本訴係属(昭和三四年四月一六日、準備書面に「五月」とあるのは、誤記、記録六一三丁)後三カ月を経過した今日、いまだに右措置要求に対する審査判定がなされていないから、本訴は、この点においても、適法である。

3.仮りに、右1.2が理由ないとしても、本件は「訴願の裁決を経ることにより著しい損害を生ずる虞のある場合」に該当する。すなわち、職員団体は、その職員の勤務条件等の交渉団体としての本来的性格よりして、一日たりともその活動を停止することを得ないものであつて、したがつて、この職員団体の業務に専従するための職員も一日として欠くことを得ないものである。それゆえ、専従休暇の承認、不承認の問題は、適時適切に処理されなければならないのであつて、訴願の裁決をまつて、はじめて、訴を提起し得るものとすれば、職員団体に対し、回復し難い明白かつ重大な現実の損害を与えるものであるから、本件においては、訴願の裁決を経ないで、訴を提起し得るものといわなければならない。

本案に関する双方の主張

一、控訴人がわの主張

本件専従休暇不承認処分は、左の理由により、違法ではない

(一)  和教組は、非職員たる被免職者を構成員にふくみ、これを組合役員としているから、不適法な職員団体である。

和教組のような地公法上の職員団体において、その構成員が職員に限られるかどうかについては、地公法に明文がなく、見解の岐れるところであり、特別の制限規定のない限りは、労働組合と同様の法的取扱をしようとする傾向がある。しかしながら、

1.地公法は、公務員は全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務すべきものであるという点に、その労働関係の特殊性を認め、一般労働者と異なり、労働組合法の適用を排除し、労働組合に代えて、職員団体の結成を認め、その団結権、団体交渉権を制限し、争議権を否定している。これに対し、地方公務員のうちでも、地方公営企業に勤務する職員については、地方公営企業労働関係法(以下、地公労法という)は、一面、地方公営企業が企業である点に私企業との類似性を認め、その職員の団結権については、労働組合法の適用を認め、広汎な団体交渉権を認めるとともに、これに関し労働協約締結権を認めているが、他面、地方公営企業が行政主体の経営する公益事業であること、その争議行為が一般住民に対し著しい不利益を与えること、いいかえれば「公共の福祉」に重大な影響をおよぼすことを考慮し、その職員の争議権を否定し、一般の労働者と区別して取り扱うという建前をとつている。地公労法第五条三項が、職員の労働組合について、非職員を排除しているのは、この趣旨のあらわれである。このような意味において、地方公営企業の職員の労働組合の地位は一般労働組合と公務員の職員団体との中間に位するものということができる。

右のような公務員の労働関係の特殊性および公務員の労働法上の地位に照らしてみると、地公法の職員団体の構成については、公共企業体等労働関係法(以下、公労法という)第四条三項や地公労法第五条三項のような、非職員を排除する旨の明文の規定がないけれども、地公労法が、企業的色彩をもつ点において、私企業に近い地方公営企業の労働組合についてさえ、非職員の加入を認めていない以上、より強く全体の奉仕者たることを要請される一般公務員の職員団体については、外部勢力による不当な影響から一層強く独立しなければならないのであつて、特別の規定をまつまでもなく、当然、非職員の加入を認めないと解するのが、地公法の趣旨に合する。

2.被控訴人がわは、地公法附則第一三ないし第一五を根拠として、職員団体は、非職員を排除するものでないと解している。しかし、この附則は、地公法を制定実施するに当り、従来認められていた労働組合法に基く官公庁労働組合をどのように扱うべきかについての経過規定として設けられたもので右の附則の、「地公法第五八条第一項の規定施行の際現に在する労働組合でその主たる構成員が職員であるもの」は、一定期間内に登録しなければならないとの規定は、登録申請義務者は、その主たる構成員が職員である労働組合で足るが、その登録申請の対象となる職員団体については、その構成員のすべてが職員で、かつ、当該地方公共団体の職員でなければならぬことを意味する。すなわち、当該労働組合は、通常まずその構成を整備して登録を申請すれば、地公法上の職員団体となり得る趣旨を定めたものと解すべきであり、この規定から、職員団体は非職員をふくむと解するのは、正当でない。

3.地公法第五三条三項は、組合登録制に関して、職員団体の規約の作成等、重要な行為につき、職員の平等なる選挙権を担保しているが、この規定は、地公法上の職員団体が非職員をふくまないと解すべき一つの根拠となるものである。けだし、もしそうでないとすれば、右規定は、職員団体が、本来平等なるべき構成員中に、法的に担保された選挙権を有する者とそうでない者とをふくむことを予想した不合理な条文と化するにいたるからである。

4.わが憲法のもとにおいて、労働三法の適用を受ける一般労働者、地公労法又は公労法の適用を受ける職員および地方公務員法又は国家公務員法の適用を受ける職員の三者につき、それぞれその労働関係の性質に応じた規制がなされている以上、ILO八七号条約が当然に国内法の解釈基準として妥当すると解するのは、早計であり、現行法の建前に反する。

以上の理由により、現行地公法の解釈として、非職員は一切職員団体の構成員となり得ないものと解するのが、相当である。しかるに、和教組は、岩尾覚等七名の被免職者たる非職員を組合の構成員にふくみ、これらの者が、執行委員長、書記長、常任執行委員等、組合役員の枢要な地位を占めているのであるが、これら非職員がいわゆる外部勢力として、和教組に甚大なる影響をもち、公務員関係の秩序を破壊する危険を生ずるおそれのあることは、極めて明白である。したがつて、和教組は不適法な職員団体といわなければならない。

次に、職員団体の登録取消の制度との関係について附言する。職員団体が引き続き登録されるためには、その構成が職員に限られることを法律要件とするところ、その構成員に被免職者をふくみ、かつ、被免職者が組合の幹部役員の地位を占めるような場合には、その違法は重大かつ明白というべきであつて、かような場合には、人事委員会による登録の取消をまつまでもなく、当然に、その職員団体は、地公法上の適法団体としての資格を失うものといわなければならない。したがつて、前述のごとき和教組は、その登録の取消をまつまでもなく、すでに適法な職員団体としての資格を失つたものということができる。

(二)  和教組は、連合体としての職員団体ではないから、適法な職員団体とはいえない。すなわち、和教組のごとき県費負担教職員の組織する職員団体は、教育公務員特例法第二五条の六第一項による連合体でなければ、都道府県人事委員会に登録することを許されない。しかるに、和教組は、もともと、各市町村の組織が独立した職員団体(単位職員団体)として存在した上での連合体ではなかつたのであるから、連合体たる職員団体として登録することができないものである。したがつて、連合体として登録されている和教組の現在の登録は、虚偽申請による登録であり、本来無効のものであつて、和教組は、適法な職員団体ということはできない。

(三)  公務上の支障

1.原判決摘示の本案の答弁(二)の(3) (記録五〇四丁)に補足して、県教育委員会の指示により、現実に後任補充を期待し得ない場合に、専従休暇を認めることは、たちまち学校業務に支障を生ずること、明かである。

2.和教組の専従者の員数は、他府県のそれと比較して、余りにも多い。昭和三四年度都道府県教組における専従職員の数は、和歌山県をのぞく全国平均は、実に、六九六人に対し一人の割合である。しかるに、和教組は、約六〇〇〇人の組合員に対し、毎年約三〇人の専従職員が認められたのであるから、約二〇〇人に対し一人の割合であり、これを全国の平均値に近づけるためには、専従者を減少し、これを教壇に復帰させて職務に専念させることが、公務の正常なる運営としてのぞましいことは、経験則上、容易に了解し得るところである。しかるに、和教組は、昭和三四年度は、被控訴人等をふくむ三三名につき、専従休暇の申出をなしたものであつて、これを承認すれば、公務に支障あることは、容易に推測されるところである。

3.組合業務に専従するには、専従休暇の承認を得ることを要するにかかわらず、承認前又は不承認を知りつつ専従役員に就任するがごときは、既定事実を構成してこれを服務監督者に強引に認めしめようとする、いわゆる力による強圧手段といわざるを得ない。かかる既定事実を容認せざるを得ないような状態を作り出すことは、公務員としてふさわしくない行動であるから、本件において、もし被控訴人等の専従休暇申請を承認するとすれば、かかる例を将来とも容認するものと職員に受け取られ、服務に関する諸規則の遵守を期し得ない結果となる。したがつて、かかる場合は、控訴人等の学校業務の秩序ある運営に支障があり、専従条例にいう「公務に支障がある」場合に該当するといわなければならない。

4.停職についで、現に起訴休職中の被控訴人惣坊および平尾の両名につき、仮りに同人等が専従休暇を申し出ることができるとしても、停職処分は、懲戒処分として、職員に対し、公務員としての行為を停止しているものであり、起訴休職は、公務遂行の信頼を確保するため、職員に対し、公務員としての行為を停止しているものであつて、このように、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた者に、専従休暇の承認を与えるのは、他の職員に悪影響を与え、ひいては、教育全体の秩序ある運営をそこなう場合も招来するから、「公務に支障ある」場合に該当するものである。

二、被控訴人がわの主張

(一)  被免職者七名をふくむ和教組は、地公法上、適法なる職員団体である。

1.地公法は、地方公務員の「全体の奉仕者」性と「公共の福祉」というその職務の特殊性から、憲法第二八条に規定された労働基本権に部分的制約を加え、争議行為を禁止し、労働協約の締結について制限しているが、それは、地方公務員の労働者性を否定するものではない。地方公務員について、労働基準法がほとんど全面的に適用されていることも、右の本来的労働者性を示している。したがつて、地方公務員の結成する職員団体は、労組法の適用が排除されていても、労働組合たる本質を有するものである。地公法は、右の規制措置をのぞいては、職員の団結についてなんら制約を加えていないのである。地公法には、公労法第四条第三項のような規定はなく、職員の団結を保障する地公法第五二条第一項は、職員団体が非職員をふくむか、ふくまないかについて、積極にも消極にも言及していないのであり、右条項が「職員は」と規定していること自体から、非職員をふくまないと解すべきではない。労働基本権たる狭義の団結権の制限は、厳格に解されなければならないのであつて、前述の地方公務員の職務の特殊性のごときは、右の団結権を制限する理由とはなり得ない。地方公務員が職員団体を組織し、職員団体の構成員として行動する限りにおいては、当局と対等当事者たる地位を有するものであり、その職員団体の組織運営については、自主性が尊重されなければならない。非職員を構成員にふくむことにより、職員団体の自主性がそこなわれるものではなく、かえつて、非職員をふくみ得ないと解することにより、一層その自主性はそこなわれる。けだし、対立当事者である当局より免職処分を受けた者は、職員団体の構成員たり得ないと解することにより、当局の職員団体に対する支配干渉を容易にするからである。

右に述べたところから、地公法上の職員団体の構成員の範囲について、これを制限する明文の規定がない以上、解釈論として、非職員をふくまないという制限的(違憲的)立場をとるべきではない。したがつて、地公法上の職員団体は、非職員をふくむことを妨げないと解すべきである。

2.地公法附則第一三項以下の諸規定は、「現に存する労働組合でその主たる構成員が職員であるもの」は、所定の期間内に法所定の登録を申請することにより、引き続き存続することを定めている。この登録申請は、非職員の排除を意味するものではない。もし、それが非職員の排除を意味するものとすれば、当然経過規定の中にその旨の明文の規定を必要とする。右附則は、従前の労組法等の規定の適用を受けていた公務員の労働組合が、地公法の規定する資格要件を充足することを要求しているものである。したがつて、右経過規定たる附則の存在も、非職員を職員団体の構成員となし得る根拠を示すものである。

3.ILO第八七号条約は、わが国においてまだ批准されていないけれども、確立された国際通念として、現行法上の団結権の解釈にあたり重視されなければならない。

以上の諸点から、地公法にいう職員団体は、職員を主たる構成員とするものであれば足り、その構成員中に一部の非職員を包含しても差し支えない、と解するのを相当とする。控訴人がわの援用する地公法第五三条第三項の規定は、右の解釈をくつがえし得る根拠とはなり得ない。したがつて、約六、〇〇〇人の組合員から成る和教組が、その組織の中に僅か七名の被免職者たる非職員をふくんでいるからといつて、現在の和教組を法外組合ときめつけることは、明らかに不当不法な措置といわなければならない。

のみならず、和教組についてなされた県人事委員会の行政処分たる登録は、公定力を有し、権限ある機関による取消あるまでは、行政機関相互間においてこれに拘束される。したがつて、登録の取消に関する唯一の判定権限者である県人事委員会が、いまだ右登録を取り消していないのにかかわらず、控訴人等およびその補助参加人において、被免職者を包含する和教組を、その登録の取消をまつまでもなく、不適法団体とするのは、到底許されないところである。

(二)  和教組は連合体ではなく、したがつて、連合体としてなされた和教組の登録も無効であるとの控訴人がわの主張について。

和教組は、もと、県下教職員をもつて組織する単一体であつたところ、地公法および教育公務員特例法の制定により、連合体として登録されることとなり、組織変更して、昭和三〇年九月二一日連合体として登録され、現在にいたつている。ただ、右組織変更、登録の前後においても、和教組の運営自体には変更なく、単一体におけると同様の直接民主制を維持してきたものである(地公法五三条三項等参照)。しかも、右の登録等については、すべて和歌山県人事委員会の指導のもとに行われ、控訴人等およびその補助参加人も、右人事委員会の措置に従い、なんらの異議なく、和教組との交渉、専従承認をなしてきたものである。この点に関する控訴人がわの主張は、単なるいいがかりにすぎない。

(三)  公務に支障があるという控訴人がわの主張は、理由がない。

1.本件専従条例にいうところの「公務の支障」は、最終的には、任命権者である控訴人等の補助参加人の所管する和歌山県全体の教員の人事問題にまで関連するが、本件の場合、処分者は控訴人等各市教育委員会であり、そのなし得る認定は、当該市の教員の教育業務に関する「公務の支障」である。

ところで、教員の職務は、その特質として、極めて普遍的なものであつて、教育基本法に明示されている教育目的達成のため、学校教育法において、その職務を定められており、かつ、いずれの教員も教育職員免許法に基く免許状を有する、一定の能力と資格の所有者であつて、その限りにおいて、何人をもつてしても代置し得る完全な代替性を有し、その者を措いて余人をもつて替え難いとする特殊な職務を遂行するものではない。したがつて、一般的にいつて、公務の支障というものは、考えられないところである。ことに、専従休暇請求権が職員の団結権、団体行動権の具体的内容をなす基本的な権利であることに照らし、公務の支障の意味は、厳密に解されなければならないものである。さらに、本件専従条例の関係条項では、専従休暇の期間が満了したときは、教育委員会は更に専従休暇を与えることができる旨規定されている。これは、前述のごとき教員の公務の代替性に着目し、一度公務に支障なしと判断された者については、特段の事由のない限り、専従休暇を更新し得ることを定めたものと解される。

しかるに、本件において、控訴人等は、公務に支障ある理由として、補助参加人より補充のないことをあげるが、かかる問題は、前述したところからしても、控訴人等市教育委員会の認定すべき内容ではないし、一名に対する専従休暇の承認が、当然一名の欠員を生ずることは、条例のすでに予定しているところであるに徴しても、公務上の支障の理由とはならない。又、従来、すべての専従休暇請求がただ一つの例外もなく承認せられ、その承認後、県より例外なく補充があつたという事実からしても、控訴人等の右理由は、従前の慣例を無視した不当なものである。

2.和教組の専従職員の数が他府県に比較して多いという控訴人がわの理由は、原審において主張されなかつたものであり、本件不承認処分の理由の追加として法律上許されないものである。仮りに、その主張が許されるとしても、控訴人等の本件不承認当時の真の意思は、単に「県よりの補充がないこと」の唯一点にあつたものである。しかも、右主張は、なんら公務の支障の具体的事実を示すことなく、従前の状態の存続を公務の支障にかからしめるものであつて、到底本件専従休暇を拒否する理由とはなり得ない。

3.「被控訴人等が、控訴人等の承認を得ることなく、事実上専従活動に従事したから、公務に支障がある」という控訴人がわの主張に対し、法を無視し、秩序を乱しているのは、控訴人等および補助参加人自身であつて、不当な理由に基いて専従休暇申請者全員についてその申請が拒否された以上、和教組ならびに被控訴人等は、組織自衛のため、専従業務を遂行する正当な権利を有するものである。

(四)  被控訴人惣坊、平尾の両名につき、

起訴休職は、刑事上の犯罪を犯した疑いあるものとして起訴せられた者を、引き続き公務に従事させることは、その執行する公務に対する一般市民の信頼を失わしめ、公務自体の権威を失う結果を招来することになるので、その裁判の確定まで、一時、公務に従事するのを停止する制度である。起訴休職と専従休暇の制度は、いずれも、職員たる身分を有しつつ、職務専念義務の免除されている点において、共通のものをもつているが、両者は、その本質、目的において異なるものであつて、起訴休職中の職員でも、無給の専従職員となり得べく、又逆に、専従職員で起訴せられた場合には、起訴休職処分に付することも、可能である。

証拠関係

被控訴人がわは、甲第一号証、第二号証の一、二、第三ないし第五号証を提出し、原審証人大塚基弘、原審ならびに当審証人西浦利也の各証言、原審における鑑定人野村平爾、松岡三郎、辻清明の各鑑定の結果を援用し、乙第二号証の一の成立を否認し、その他の乙号各証の成立(ただし、乙第一〇ないし第一二号証の各一ないし四、第一三号証の一ないし三については、原本の存在をあわせて)を認めると述べ、控訴人がわは、乙第一、二号証の各一、二、第三号証の一ないし七、第四号証、第五号証の一、二、第六、七号証、第八、九号証の各一、二、第一〇ないし第一二号証の各一ないし四(いずれも写)、第一三号証の一ないし三(いずれも写)、第一四号証、第一五号証の一、二、第一六号証の一ないし五、第一七ないし第二〇号証を提出し、原審証人今枝信雄、木田宏、細沢辰幸、大塚基弘、当審証人平井啓次郎、福井栄一、宮井竜の各証言、原審における鑑定人辻清明の鑑定の結果を援用し、甲第五号証の成立は不知、その他の甲各号証の成立は認めると述べた。

理由

一、まず、控訴人がわの本案前の主張について、順次判断する。

(一)  本件には司法裁判権がおよばないとの主張について、

市町村の職員である公立小、中学校の教職員(以下、教職員という)は、都道府県単位に職員団体の連合体(以下、職員団体という)を結成して、その給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、団体協約の締結をふくまない範囲で、都道府県の当局と交渉することが認められている。地公法およびその特別法たる教育公務員特例法は、憲法第二八条にいう「勤労者」としての教職員の団結権を、その公法上の勤務関係の特殊性に応じて、このように具現し、保障している。この職員団体は、教職員の任命権者たる都道府県の教育委員会や服務監督者たる市町村の教育委員会の支配統制を離れて、自主的に、教職員の勤務条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的とする私的団体であるが、地公法第五二条五項は、制定の沿革からみて、かかる職員団体の組織活動の運営上の必要を勘案し、その団結権を現実に保障する構造として、職員がその身分を保有しつつ、地方公共団体から給与を受けないで職員団体の事務又は活動に専従するところの、いわゆる専従職員(在籍専従ともいう)の制度を認め、本件の和歌山市、新宮市および御坊市は、地公法に示された右根本基準の実施措置として、地公法第五条一項、第三五条に基き、それぞれ「職員団体の業務にもつぱら従事する職員に関する条例」(以下、専従条例という)を制定し、教職員については、(1) 教職員から、登録された職員団体の代表者又は役員として、職員団体の業務にもつぱら従事するための休暇(専従休暇)の申出があつた場合、市の教育委員会(以下、市教委という)は、「公務に支障のない限り」右申出に承認を「与えることができる」(ただし、御坊市の場合は、「与えるものとする」となつている)、(2) 休暇期間中は、職務に専念する義務を免除され、職務に従事することができない、(3) 休暇期間中も、その職を保有し、その期間終了とともにその職務に復帰する権利を有することを定めている(教職員の勤務条件は、都道府県の条例で定められることになつており、専従職員の専従期間中の処遇は、勤務条件に関するものであるところ、和歌山県の昭和二八年五三号、市町村立学校職員の給与等に関する条例第三四条は、専従職員を無給休職とすることを定めている。したがつて、前記各市の専従条例は、市教委を専従承認の機関とし、その承認基準を定めたところに、意味があり同条例にいう「休暇」は、専従承認の効果と解するのが相当である)。

以上によれば、職員団体の構成員によりその代表者又は役員として選出された前記各市の教職員が、専従職員として、職員団体の業務に専従し得ることは、職員団体の団結権を現実に保障する構造として、地公法および右専従条例により当該教職員に認められた労働関係上の権利ということができる。もつとも、右専従条例によれば、教職員の専従につき、市教委の承認を要するけれども、それは、公法上の勤務関係に立つて本来職務に専念する義務を負う教職員が、その職務以外の職員団体の業務に就くからに外ならないから、市教委の承認を要するからといつて、教職員の右権利の権利性を否定し得るものではなく、又公務に支障がある場合、専従承認の申出が拒否されることが予想されるが、それは、教職員の右権利が絶対無制限のものでないことを示すにとどまり、右権利の権利性を否定することにはならない。別言すれば、市教委の承認、不承認の権限の根拠が所管の学校の維持運営、教職員の服務監督等に関する包括的な管理権の作用として、本来自律権の範疇に入るものであるにしても、職員団体の団結権およびこれを保障するために実定法上認められた教職員の在籍専従活動自体は、市教委の自律権の範囲を超えたところにあるものである。したがつて、本件における専従不承認処分は、教職員の上叙のごとき労働関係上の権利侵害に関するものであつて、教育行政における内部規律としての単なる服務監督行為の問題にとどまらない。

それのみならず、前記専従条例は、教職員の右のごとき労働関係上の権利をまもるために、市教委の専従承認の権限行使に対して、「公務に支障のない限り」という法的制約を課しているのであつて、そこにいう「公務」の「支障」に関する市教委の判断が、教育行政に固有なものとして、司法審査に親しまないほどの要素をふくむものとは、解し得ないし、その規定の文言は、不確定的抽象的概念をもつて表示されてはいるものの、在籍専従制度を設けた法の趣旨、目的を考量して、客観的規準に従つて解釈適用されなければならないことは、勿論である。又和歌山市、新宮市の各専従条例は、専従承認を「与えることができる」と規定して、専従の申出を承認するための法定要件を備えている場合でも、承認するか、しないかの裁量が市教委に残されているがごとき規定の仕方をしているが、勤労者たる教職員の福祉を擁護するために認められた在籍専従制度の趣旨、目的に徴すれば、市教委は、決定要件を備えている場合は、専従を承認するべく覊束されるものと解するのを相当とする。(御坊市の場合は、専従承認を「与えるものとする」と一義的に規定し、法定要件の備わるときは、市教委に対して専従を承認するよう拘束しているから、問題はない)。

したがつて、本件の専従不承認処分は、司法裁判権の対象となるというべきである。これに反する控訴人等の主張は、理由がない。

(二)  専従不承認処分が存在しないとの主張について

控訴人和歌山市教委は、被控訴人田中、山下、林、落合、広本の五名の本訴請求については、抗告訴訟における取消の対象となる専従不承認処分が存在しないから、訴の利益を欠くと主張するけれども、右被控訴人等が昭和三四年四月一日頃控訴人和歌山市教委に対し、和教組の専従役員に就くための専従承認の申出をなしたことは、当事者間に争なく、右事実に成立に争のない甲第五号証、第二号証の一、二、原審ならびに当審における証人西浦利也の証言を綜合すると、右控訴人は、その頃、右被控訴人等に対し、専従不承認の処分をしたことが認められる。したがつて、控訴人和歌山市教委の右主張は、理由がない。

(三)  権利侵害(当事者適格)がないとの主張について

被控訴人等が原判決別紙記載の各公立中学校の教員であつて、和歌山県人事委員会に登録された職員団体である和教組の構成員であることは、当事者間に争なく、原本の存在ならびに成立に争のない乙第一一号証の一ないし四、前記証人西浦利也の証言によれば被控訴人等が、昭和三四年二月二八日、和教組の昭和三四年度(同年四月一日から昭和三五年三月三一日まで)の専従役員たる執行委員として選出されたことが認められる。被控訴人惣坊、加藤、平尾、原の四名が、原判決別紙記載のとおり、それぞれ控訴人新宮、御坊の各市教委に専従承認の申出をし、いずれもその不承認処分を受けたことも亦、当事者間に争のないところであり、他の被控訴人等五名に対する右関係事実は、前記(二)で認定したとおりである。したがつて、前記(一)で述べたところからして、被控訴人等は、専従役員として、和教組の業務に専従し得る労働関係上の権利を有する筋合いであるから、控訴人等の本件専従不承認処分によつて、右の各権利を侵害される関係にあることが、明かである。専従休暇ないし在籍専従活動を単に反射的利益にすぎないとする控訴人等の見解は、採用できない。又、専従不承認処分は、単に教職員の職務専念義務を継続させるにすぎないから、被控訴人等になんら不利益な処分ではないとする控訴人等の所論は、専従不承認処分の本質を教職員の労働関係においてとらえない謬論であるから、採用の限りでない。したがつて、被控訴人等は、権利を侵害された者として、本件不承認処分の取消を求める抗告訴訟を提起し得ること勿論であつて、この点に関する控訴人等の主張は理由がない。

(四)  控訴人等は、本件専従不承認処分の対象とする一カ年の専従期間は、昭和三五年三月末日をもつて満了したから、右処分の取消を求める訴の利益は失われたと主張する。

被控訴人等が承認を申し出た専従期間が、昭和三四年度、すなわち、昭和三四年四月一日から昭和三五年三月末日までの一カ年であつて、本件不承認処分も右期間を対象としてなされたものであることは、当事者間に争なく、右期間が当審に本訴の係属している間にすでに経過していることは、記録に徴して明かである。そして成立に争のない甲第五号証、第二号証の一、二、原審ならびに当審証人西浦利也の証言と本件記録によれば、昭和三四年度における和教組関係の専従承認の申出は、被控訴人等をふくめて全員とも拒否せられたので、被控訴人等は、本件不承認処分を違法として、昭和三四年四月一三日和歌山県人事委員会にその取消措置を要求し、次いで同月一六日付で本訴を提起して、これを争う一方、前記申出の専従期間にわたつて和教組の業務に専従したことが認められ、控訴人等各市教委およびその補助参加人の県教育委員会が、その間における被控訴人等の専従活動を、職務専念義務に違反して事実上専従活動をしたものとして、違法とみなしていることは、弁論の全趣旨に徴して、明かである。控訴人がわは、右違法評価は、本件不承認処分の直接の効果としてではなく、職務専念義務違反を根拠とするものであるというけれども、控訴人等のいう職務専念義務違反は、本件不承認処分の適法を基礎としてはじめていい得ることであつて、違法なる専従不承認処分は、違法に職務専念義務を免除しないことに通ずるのである。そうすると、右申出にかかる専従期間が経過しても、本件不承認処分が取り消されない以上、被控訴人等の前記労働関係上の権利に対する違法なる侵害の結果として、被控訴人等の右期間における専従活動に対して現にこれを違法とする評価を受け、ひいては、右専従期間がいわゆる専従休暇期間として、昇給、昇格、退職金等の取り扱い上、公務に従事した「正規の勤務時間」に算入されないのみならず、右専従活動が職務専念義務違反として、前記専従条例にいう「職務に復帰する権利」に影響をおよぼす等の法律上の不利益を招く関係にあるものといわなければならない。したがつて、本件の違法なる専従不承認処分による権利侵害の結果は、なお現存するものというべきである。

而して、本件不承認処分の対象とする専従期間の満了した後において、右処分を取り消す確定判決は、当事者間における既判力として、その処分の違法を確定するとともに、行政事件訴訟特例法第一二条に規定する拘束力として、処分庁である控訴人等各市教委および任命権者である補助参加人の県教育委員会に対し、判決が処分を取り消す理由として指摘した点において、判決の趣旨に従つて行為することを義務づけるものである。したがつて、右確定判決によつて、控訴人等の主張するごとく、専従申出に対して未だ許否のない白紙状態に復帰するものではなく、控訴人がわは、判決理由の指摘した点に関する限り、これと矛盾する見地に立つて、被控訴人等の昭和三四年度における専従活動に対して違法評価を加えることができなくなるばかりでなく、右専従活動を理由とする不利益取り扱いが許されなくなるものといわなければならない。もし、前記のごとき権利侵害の結果が現存するにかかわらず、処分後の期間経過を理由として、その処分の取消を求められないとすれば、違法なる専従不承認処分によつて権利侵害を受けたとする被控訴人等の法律上の地位は極めて不安定なものとなるばかりでなく、その権利救済の途は実際上ほとんど失われることになる。

したがつて、被控訴人等が違法に本件不承認処分を受けたとして、これによる権利侵害の結果が現存する以上、被控訴人等は、その処分の対象とする専従期間の経過後においても、右処分の取消を求める抗告訴訟を維持して本案判決を求める法律上の利益を有するものといわなければならない。この点に関する控訴人等の主張は理由がない。

(五)  本訴は、訴願を経由していないから、違法であるとの主張について、

本件専従不承認処分は、地公法第四九条にいう不利益処分に該当するものではない。又、それが教職員の勤務条件に関するものとして、被控訴人等が地公法第四六条により、和歌山県人事委員会に対し、控訴人等各市教委により適当な措置が執られるべきことの行政措置を要求し得るにしても、人事委員会の執り得る措置は、市教委に対する勧告にとどまり、しかも、その勧告は、人事委員会の性格機能に鑑み、市教委がこれを尊重しなければならないにしても、市教委を法律的に拘束するものではない。ところで、訴願前置主義を採用する行政事件訴訟特例法第二条にいわゆる訴願は、裁決庁が訴願の対象である行政処分の適否を判断して、処分庁を法律的に拘束する結論を出し得ることを法律上の要件とするものと解すべきである。したがつて、本件不承認処分に対する地公法第四六条に基く行政措置の要求は、右特例法にいう訴願ではない。結局、本件不承認処分に対しては、右特例法にいう訴願の前置は認められていないというの外はないから、訴願の前置を前提とする控訴人等の主張は、理由がない。

二、そこで、本案に入つて判断する。

被控訴人等が、その主張のごとく、公立中学校の教員で、和歌山県人事委員会に登録された職員団体である和教組に所属し、昭和三四年度の和教組の専従役員として選出されたので、控訴人等各市教委に対し、前記各専従条例に基いて、専従承認の申出をしたところ、いずれもその不承認処分を受けたことは、すでに認定したとおりであるから、次に、その処分の当否に関する争点について検討する。

(一)  控訴人新宮および御坊の各市教委は、被控訴人惣坊および平尾の両名については、本件処分当時より引き続き職務に従事することを許されていないから、専従休暇を請求し得ないと主張する。

右被控訴人両名が、昭和三三年九月七日、地公法第三七条違反被告事件の被告人として、和歌山地方裁判所に起訴され、補助参助人の県教育委員会より、同年一一月一七日、停職六月の懲戒処分を受け、次いで昭和三四年五月一七日、右刑事事件が裁判所に係属中休職処分に付され、本件処分当時より現在にいたるまで、職務に従事することを許されていないことは、当事者間に争がない。しかしながら、職員が職員団体の業務に専従し得る前記の労働関係上の権利は、職員団体の団結権を現実に保障するために認められたものであつて、職員が現に職務に従事し得る権利を有するか否かにかかわりはないから、右被控訴人等が専従役員として和教組の業務に専従し得る右労働関係上の権利は、停職又は起訴休職の処分によつて影響されることはないというべきである。現に、右被控訴人等は、昭和三三年度の和教組の専従役員に就いていたが(この点は争がない)、同年度の途中で受けた右停職処分によつて、その地位を奪われてはいないのである(この点は弁論の全趣旨に徴し認められる)。したがつて、右被控訴人等は、右処分中でもかかる権利の行使として、市教委に対し、専従承認の申出をなし得るものであり、又その処分中でも、職員としての身分を有し、公法上の勤務関係に立つ以上、本来の職務以外の和教組の業務に専従するについて、市教委の専従承認を得なければならないのである。ただ本件専従条例にいう「休暇」は、専従承認の効果とみるべきであるから、右被控訴人両名は、たとえ専従承認を得ても、右停職又は起訴休職中は、その処分の効果の方が優先し、本件専従条例および前記の市町村立学校職員の給与等に関する県条例による「休暇」ないし「無給休暇」の取り扱いを受けられず、その専従期間が公務に従事したものとして取り扱われないことがあるにすぎない。又専従許可を得ておかないと、将来、もし右停職等の処分が取り消されても、当局はその間の専従活動を適法と認めないであろう。

本件専従条例は、かかる「休暇」扱いを受けられない事情下にある職員の専従活動を排斥している趣旨と解すべきではない。もし、右条例が、それら職員の専従申出の権能を否定し、前記の労働関係上の権利を剥奪する趣旨の下に制定されているものとすれば、その限りにおいては、職員団体の団結権を保障し専従職員の制度を認めた地公法の精神に反するものとして、憲法第九四条、地方自治法第一四条一項および地公法第五条一項に反するものとして、無効といわなければならない。

したがつて、右被控訴人両名は本件専従承認の申出をなし得るものというべきであつて、これに反する控訴人等の主張は理由がない。

(二)  和教組の構成員の範囲について

控訴人等は、和教組は、組合員ならびに組合の役員に非職員をふくんでいるから、地公法上、不適法な職員団体というべきであり、したがつて、かかる不適法な職員団体のためにする被控訴人等の専従承認の申出を拒否した本件不承認処分は、違法ではないと主張する。

和教組が、昭和三三年一一月一七日以来、懲戒免職処分に付された訴外岩尾覚以下七名を組合員としてふくみ、それ等の者が免職後昭和三四年度にかけて引き続き和教組の執行委員長、書記長又は常任執行委員の地位に就いていることは、当事者間に争がない。

ところで、職員団体がその構成員に非職員をふくみ得るかの問題は、本件の最も基本的な争点をなすものであつて、控訴人がわは、その構成員は職員に限られるとするのに対し、被控訴人がわは、まず、主たる構成員が職員であれば足りると主張して、それぞれその論拠を展開している。そこで、職員団体の構成員の資格、範囲について考えてみるのに、

1  地公法第五二条一項は「職員は、給与、勤務時間その他の勤務条件に関し当該地方公共団体の当局と交渉するための団体を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる。」と規定し、職員がいわゆるオープン・シヨツプ制の職員団体を結成する権利(狭義の団結権)を認めているが、その職員団体の構成員の資格範囲に関しては、地公法には、公労法第四条三項や地公労法第五条三項のように、職員でなければ組合員にも組合の役員にもなれないというような非職員排除の立法措置がとられていない。地公法の右規定が「職員は」と定められていることから、その文理ないし論理解釈として、構成員を職員に限ると解することはできない。かかる解釈の許されないことは、公労法、地公労法の前記法条が、その第一項において、地公法の右規定と同じように、「職員は」という書き出しで職員のオープン・シヨツプ制の組合を結成する権利を認めながら、しかもなお、右のごとく、その三項において、非職員を排除することを規定していることに徴しても、明かであつて、公労法地公労法の右排除規定が全く無意味なものとは到底解し得ないからである。

2  地公法の附則第一三ないし一五は、従前の官公庁労働組合を地公法上の職員団体として存続させる要件として、「主たる構成員が職員であるもの」は、一定の期間内に同法第五三条一項の規定による登録申請をなすべきことを規定しているが、右登録申請に当つて非職員を構成員から整理排除すべきことを定めた附則規定はないし、本法の中にも、かかる排除規定のないことは、上叙のとおりである。又地公法第五三条一項の職員団体の登録制は、職員団体が自主的民主的に組織構成されたことを公証するための制度にすぎず、職員の団結権を拘束制限するものではないし、そのような制限を加える目的のために利用されてはならない。したがつて、地公法の右附則は、同法の施行後においても、主たる構成員が職員で一部の非職員を包含する職員団体の存続することを前提とした規定と解しなければならない。右附則が地公法施行の経過規定であるということから、同法施行後に一部非職員を包含するにいたつた職員団体につき、その施行当時から一部非職員を包容する職員団体と差別扱いすることは、法の下における平等を保障した憲法第一四条一項の趣旨に違反するものであつて、許されない。

3  地公法は、職員に対し、労働組合法等の適用を排除し、団体協約を締結する権利を否認し、争議行為を禁止する一方、職員の団結権については、職員団体の組織形態に干与(地公法第五二条二、三項、教育公務員特例法第二五条の六)するほか、その構成員の資格範囲については、前述のとおり別に規制をしないで、これを認め、協約締結権をふくまない範囲で、その勤務条件に関し、団体交渉し得る権利を認めている。地公法が職員にこれらの権利を認めたのは、一般勤労者の階層に属する職員と、それら職員の勤務条件に関して管理執行の権限を有する使用者的立場にある行政当局とが、労働関係において、対立的関係にある現実を直視し、職員が当局の支配を離れて、自主的に、職員団体を組織し、その団結の力によつて、勤務条件の改善を図ることを得せしめようとするものに外ならない。このため、職員は、職員団体の結成若しくはこれへの加入又は正当な団結活動のために、当局から不利益な取り扱いを受けることから保護されているのであり(地公法第五六条)、又職員団体の適法な団結活動に関する限りにおいては、これに対する当局の支配介入の許されないことも、当然の事理に属する。これらは、職員の団結活動に対する当局からの干渉を禁止し、職員の自治ないし自主的運営を擁護するものに外ならない。職員が争議行為をした場合においても、当該職員が任命上又は雇用上の権利の保障を失うことあるを規定するにとどまり(地公法第三七条二項)、免職又は解雇を受けた場合の当該職員の職員団体における地位への影響については、なんら規定するところがない。これらの諸点に徴すると、地公法は、前記のごとき禁止又は制限の規制をのぞく範囲においては、職員団体の組織運営については、職員の自治に任せているものと解し得るから、職員団体の構成員の資格、範囲についても、職員の自主性を尊重するように解釈する方が、地公法の趣旨にそうものということができる。

4  職員団体の構成員の範囲に関する解釈と憲法との関係についてみると、地方公務員である職員も、憲法第二八条にいう「勤労者」の中にふくまれるから、同条の上では、職員は自由に他の勤労者と団結体を組織して労働運動をなし得る筋合いであり、地公法は、憲法上保障された勤労者の団結権を、職員について具体化したものに外ならない。したがつて、職員の団結権に関して、その構成員の範囲が職員に限られるかそれとも地公法の前記附則の程度に制限されたものと解するかについては、いずれも憲法上の他の原理が働いて来なければならない。ところで、地公法は、明文をもつて、前述のごとく、職員の争議行為を禁止し、団体交渉における協約締結権を否認したが、その理由は、職員が公務員として、全体の奉仕者であるとか、公共の福祉とかいう憲法上の原理に基くものである。職員の争議行為が地方自治の機能をまひさせ、住民に至大の迷惑をおよぼす危険性があり、又団体協約締結権が住民の代表者によつて構成される地方自治体の議会の権限を侵して、地方自治の根幹をおびやかす危険性を有するという点において、職員の争議権、団体交渉権については、右規制原理の働く根拠が存するといえよう。その点で、職員団体は、一般の労働者の組織する労働組合のように、争議権を背景として、労使の力関係によつて、労働条件を自主的に決めるのとは、著しく異なつているが、争議行為の禁止等の理由としてあげられる前記のような根拠だけで、職員団体の構成員の範囲までも、厳密に職員に限らねばならぬというのは、理由として薄弱たるをまぬがれない。けだし、職員がその勤務条件の改善を要求する団結力の強化策として、職員団体の構成員に一部の非職員を包容したからといつて、そのことから直ちに憲法における公務員の原理ないし秩序に危険性を招来するとは思われないし、又その構成員から、たとえ僅かでも、非職員を排除しなければ、公共の福祉を阻害するおそれがあるものとは、いい得ないからである。このことは、地公法の前記附則が、同法施行当時の職員団体につき、一部の非職員を包容し得ることを認めていることからも、うかがわれるところである。しかし、職員団体が職員の勤務条件に関する交渉団体であり、職員を中心として団結活動すべきものであることも、勿論であつて、そのことが憲法における団結権保障の原理からも、公務員秩序確保の必要性からも、要請されるところである。結局、憲法における団結権保障の要請と、公務員秩序確保の要請との調整として、職員団体は、その組織の運営上、職員の自主性が失われない限度において、非職員を包容し得るものと解するのが、憲法の理念に即した解釈ということができよう。

5  控訴人等は、右3、4、に関連して、地方公務員が、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき特別の勤務関係に立ち、労働組合法、労働関係調整法、労働基準法第二条等の適用を除外され、争議行為等を禁止されたという、労働関係の特殊性なり労働法上の地位を前提として、「私企業に近い地方公営企業の労働組合についてさえ、非職員の加入を認められていない以上、より強く全体の奉仕者たることを要請される一般公務員の職員団体については、特別の規定をまつまでもなく、当然、非職員の加入を認めていないと解するのが、地公法の趣旨に合する」と主張し、これを支持する見解(乙第二〇号証の原竜之助氏の意見)があるが、これらは、労働法の分野における地公法の体系的叙説から、職員団体における非職員排除の結論を導き出すものであつて、立法論としては兎も角、地公法の解釈論として、未だ当裁判所を首肯させるに足りない。かかる立論が許されるとすれば、地方公営企業や国鉄等の公共企業体に勤務する職員が、地公労法、公労法により争議行為を禁止されている以上、地方公務員や国家公務員は、地公法や国家公務員法の争議行為禁止の規定をまたずして、争議行為を禁止されているということにもなるであろう。かかる立論の許さるべきでないことは、勿論である。

6  なお、右4に関連して、外部勢力の排除が職員の自主性を尊重することになるかどうかをみるのに、法が職員の自主性を尊重するということは、国家権力又は使用者的立場にある当局の干渉から、職員をまもることが眼目であつて、団結を保護するという外観のもとに、職員団体の内部構成に干渉することであつてはならない。ところが、職員団体が非職員をふくまないことによつて、外部勢力からその自主性がまもられるという解釈は、現実には、職員団体の団結活動を推進する組合幹部級の職員を免職処分に付し、非職員へ転化することによつて、それらの職員を自動的に職員団体から排除し、じごそれらの職員を外部勢力として排撃し得るという、当局がわに都合のよい機能を営ましめ、職員団体の組織の弱化を招来させる危険性をはらんでいる事実に想到すれば、かかる解釈の仕方が、果して、職員の自主的団結を真に尊重する目的に出ているかどうか、極めて疑わしい。

又、職員ばかりで構成されていた職員団体において、組合運動の犠牲者として被免職者を出し、それら極く少数の被免職者が、外部勢力として、職員団体に包容され、幹部役員に就いた場合、公務員関係の秩序に対し、いかなる影響があるかについてみるのに、その包容自体が職員団体の構成員たる職員の自主的民主的決定に基くのであるから、その包容によつて職員団体が本質的に変容したり過激化したりして、公務員秩序に対する破壊的活動の危険性が増大するものとは、必ずしもいえないし、又、職員団体の団結活動が幹部指導によることが多いとしても、そのこと自体職員団体の内部運営に関する事柄であるばかりでなく、構成員のほとんどを占める職員の意向を反映するのが常態というべく、仮りに、それら職員から浮き上がつた幹部独走があるとすれば、それら職員の批判にさらされるだけで、公務員秩序への波及は懸念するほどのことはないであろう。又、職員団体は他の職員団体と事実上の連合体(本件の場合はいわゆる日教組)を結成し、それがさらに大きな労働組織体に加わつているのが実情であり、職員団体は、その運動の面において、必ずしも孤立して活動するものではなく、すでにそれら上部組織の指導若しくは影響のもとに世論の批判、動向を汲みながら行動するものであるから、大きな労働運動の流れにおいて大局的に観ずれば、前記のごとき僅かの外部勢力が職員団体に包容されたからといつて、そのことのために、直ちに、公務員関係の秩序を破壊する危険性があるとは、断定し得ない。しかのみならず、かかる危険性を強調して、明文もないのに、地公法上の職員団体の構成員の範囲を職員に限るとする解釈は、問題が憲法の保障する団結権に関するだけに、妥当な法解釈の態度とはいえない。以上1.ないし6.に述べたところを綜合し、地公法上の職員団体は、その構成員の資格、範囲として、その構成員がすべて職員であることを要せず、職員団体の組織運営上、職員の自主性が失われない限度において、非職員を包含し得るものというべく、したがつて、主たる構成員が職員であれば足り、被免職者をふくめて一部の非職員を、構成員としても差し支えないものと解するのを相当とする。したがつて、約六〇〇〇名の職員を構成員とする和教組(この点は争がない)は、被免職者たる前記岩尾覚ら七名の非職員を構成員として包含し得るものというべく、かつ、職員団体において、誰れを代表者又は役員とするかは、その構成員の自主的民主的に決し得るところであり、たとえ非職員がその代表者又は役員に選出されてその地位に就いたとしても、これに干渉すべき筋合いでないから、前記岩尾覚ら七名が和教組の構成員として、前述のごとく、その執行委員長その他の役員に就いたからといつて、和教組を地公法上の不適法な職員団体ということはできない。それ故、控訴人等が、和教組を構成員ならびに組合の役員の点で、不適法な職員団体として、本件専従不承認処分をした点は、その他の争点について判断するまでもなく、違法である。

以上の判断に反する控訴人等の法律上の見解は、すべて、当裁判所の採用しないところであり、この点に関する控訴人等の主張は理由がない。

(三)  和教組は連合体か、単一体か。

控訴人等は、和教組は、市町村単位の教職員組合をもつて組織する連合体として登録されているにかかわらず、現実の和教組は、登録当時から、その趣旨に賛同する県下の教職員をもつて組織された単一体(単位職員団体)であつて、かかる単一体は、地公法および教育公務員特例法第二五条の六による適法な職員団体とはいえないから、本件専従不承認処分は違法ではないと主張する。

成立に争のない甲第一号証、乙第一号証の一、二、第二号証の二、第四号証、第九号証の一、二、第一四、第一七号証、当審証人西浦利也の証言により和教組が印刷に付したものと認められる乙第二号証の二、原本の存在ならびに成立に争のない乙第一〇号証の一ないし四、第一三号証の一ないし三と原審ならびに当審証人西浦利也、原審証人細沢辰幸、当審証人平井啓次郎(一部)、福井栄一(一部)、宮井竜の各証言を綜合すると、次のとおり認められる。

1.和教組は、以前、規約の趣旨に賛同する県下公立学校教職員をもつて組織された単一体であつたのを、昭和三〇年三月頃市町村単位の教職員組合をもつて組織する連合体に改め、昭和三三年四月頃右連合体としての法人格を取得するため、定款を作成し、同月二三日県人事委員会に登録申請し、同月三〇日登録せられて現在にいたつている(ただし右登録の事実は争がない)。ところで、右定款にいう市町村単位の教職員組合が実際いかなる組織を指すかは、必ずしも明かでない。しかし、当時、和教組は、和歌山、海草、那賀等八つの各地方に支部を置き、各支部はその自主性を認められて別に規約、機関、役員をもち、かつ、支部管内を概ね行政区劃により地域別の数地区に分けて、それらに関する細則を定め、末端の組織として、各市町村若しくは市町村組合の設置する小、中学校ごとに、当該学校の教職員の中の組合員から成る職場単位の分会をつくつていた。各分会若しくは地域別の組織は、支部規約の定めるところに従い、その代表者をもつて、支部の機関(代議員会、郡委員会、支部委員会等、その名称は支部規約によりまちまちである)を構成するだけで、その代表者が和教組本部の大会その他の各機関を構成することはなく、和教組の大会は、各支部ごとに組合員によつて選出された代議員をもつて構成し、本部役員は大会で選挙されることになつていた。また、組合活動の面からいつても、分会若しくは地域別の段階では、独自の活動はほとんどなかつた。しかし、それは法的に制約されていたことによる。すなわち、教職員は、一般の市町村吏員と異なり、その勤務条件は、県の条例で定められ、その給与は、県が負担し、その任命権が県の教育委員会に属していることに対応して、教育公務員特例法により、県単位の連合体組織でなければ、勤務条件に関する交渉団体として認められていない。したがつて、その交渉は、もつぱら、和教組の本部又は支部と県の教育委員会又は郡単位に設けられたその出先機関(指導室といわれている)との間に行われ、市町村単位の組織は活動する余地がなかつた。又、市町村単位といつても、和歌山市のような大きな都市では、それだけで一つの支部をつくるところがあるかと思うと、山間僻地の村などでは、小さい分会しか存しないところもあつた。したがつて、厳密に市町村単位で独立の教職員組合をつくることを強要することは、分断統治の嫌いがないでもないのであつて、法律の面からみても、無理があると思われる。しかし、とも角、右のような事情からすれば、学校ごとの分会を市町村単位の単位職員団体とみることもできるのであつて、かかる分会が前記定款にいう市町村単位の教職員組合に相当し、ただ前記のような特殊事情のためもあつて、和教組は連合体となつてからも、その組織の運営および活動の面で、単一体的に行動していたにすぎないと認められる。

2.しかのみならず、和教組の前記連合体への組織変更は、県人事委員会の行政指導によつて行われたものであるばかりでなく、県人事委員会においても、和教組の前記登録申請に対して、和教組が地公法、教育公務員特例法第二五条の六および県の「職員団体の登録に関する条例」(昭和二六年、八号)に適合するものと認めて、連合体として登録し、県教育委員会や県下の市町村教育委員会においても、和教組が被免職者の岩尾覚以下七名を組合員に包含するにいたる以前においては、和教組を適法な連合体組織の職員団体として認め、そのためにする専従の申出に対し、終始例外なく承認を与えていたのである。

右1.2.の事実を考えあわせると、和教組は、前記登録申請当時、その実態が市町村単位の教職員組合の連合体であつたものと認定することができる。当審証人福井栄一の証言中、右認定に反する部分は前掲の証拠に照して信用できないし、乙第一六号各証(その中、登録の有無に関する照会は、不能のことを照会するものである)によつても、右認定を左右するに足りない。もつとも、前掲の証拠によれば、和教組は、昭和三三年八月二八日の第一八回臨時大会において、規約改正の件を上程したが、そのとき上程された規約の第二条が「この組合はその趣旨に賛同する県下教職員を以て組織する」となつていたことから、和教組は、連合体としての前記登録定款をもちながら、これとは別に、単一体としての規約も維持していたのではないかという疑念が生ずるのであるが、前記登録定款(乙第一号証の一)と右改正のために上程された規約(乙第二号証の一、但し選挙規定をのぞく。乙第一三号証の三参照)とを比較すると、前者の第二条が「この組合は、市町村単位の教職員組合をもつて組織する連合体である」と定め、後者の第二条が前記のごとく、単一体として定めている点をのぞいて、ほとんど同一文言から成つており、和教組が究極的にはその趣旨に賛同する県下の公立小、中学校の教職員を構成員とするものであつて、連合体として登録後も、その運営面では単一体として動いていて、県人事委員会や県教育委員会もその点を容認していたので、和教組においても、右規約改正の件としては、本来定款の規定を上程すべきものを、単一体当時の規約を上程したにすぎないものと認められる。そして、右大会においては、前記規約の第二条の本文自体が改正案として上程されたわけではなく、又前記定款の第二条本文を改正して組合の組織を変更した形跡もうかがわれない。これらの点に徴すると、和教組が前記のごとく昭和三〇年三月頃から連合体としての規約をもちながら、それとは別に、秘密裡に、昭和二七年二月当時からの単一体規約を保持し、組織形態をずつと単一体としていたものとまで認めるのは、相当でない。したがつて、右規約改正の際に乙第二号証の一の規定が上程されたことは、上叙の認定を動かす資料とし難い。

以上により、和教組を単一体とする控訴人等の主張は、理由がない。

(四)  現在の和教組は、登録された職員団体とはいえないとの、控訴人等の主張について(組織の同一性の問題)、

1.和教組が被免職者の岩尾覚ら七名を構成員として、組合役員に就かせていることは、上叙(二)で述べたとおりであるけれども、そこで説示したところからも明かなように、右被免職者七名の包含によつて和教組の組織の実態に本質的変化を来たすものではないから、かかる非職員の包容は、職員団体としての同一性を失わしめるものではない。

2.前掲乙第一号証の一、第一三号証の三、証人西浦利也、細沢辰幸の各証言によれば、和教組は、定款上、その執行正副委員長、書記長、書記次長およびその他の常任執行委員の選挙ならびに承認は、大会の決定事項とされていたのを、前記臨時大会において、これらの役員の選出は、全組合員の直接無記名投票による(この選挙方法については争がない)と定款を変更したことが認められるけれども、地公法第五三条三項、教育公務員特例法第二五条の六第二項によれば、教職員の連合体組織の職員団体の役員の選挙につき、要件を緩和し、連合体を構成する団体ごとに選出せられた代議員の直接選挙によつて、選出しても差し支えない旨を規定するにとどまり、連合体を構成する全組合員の直接選挙によつてその役員を選出することを禁ずる趣旨ではないから、右選挙規定の改正によつて、和教組が組織の同一性を失うものでないことは勿論である。

3.控訴人等主張のごとく、前記臨時大会において、定款の専門部に校長部を追加し、大会開催時期を「原則として五月に開く」ことに変更したことは、当事者間に争ないけれども、かかる追加変更は職員団体の同一性を失わしめるものではない。

4.前記(三)にかかげた証拠ならびに説示によれば、和教組は、従来、現職の教職員ばかりで構成し、組合の役員もすべて現職の組合員から選出され、定款もその建前でつくられていたが、前記臨時大会において、「組合業務によつて教職員たる身分をそう失した場合は、組合員としての資格は失われない」旨を議決し、右のような非職員が組合員ならびに組合の役員たる資格をもつように、定款を変更したことが認められる。被控訴人等は、右の定款変更は、その後昭和三四年五月の定期大会において、削除したと主張するけれども、原審ならびに当審証人西浦利也の証言は信用し難く、他に右削除を認めるに足る証拠はない。

5.和教組が、構成員の範囲、組合役員の資格および選挙規定、専門部の追加、大会開催時期について、以上のごとく定款を変更しながら、その旨の変更登録手続を経ていないことは、前記甲第一号証、乙第一号証の一に照して、明かである。そのうち、構成員の範囲および組合役員の資格を非職員に広げたことは、職員団体の組織上、極めて重要な事項であるけれども、それら非職員の範囲は、「組合業務によつて教職員の身分をそう失した場合」に限定されているし、その適用を受けて現在和教組の組合員となつている者は岩尾覚ら七名だけであるから、和教組が職員の自主性の確保された職員団体であることにかわりないことは、前にも述べたとおりである。又、右選挙規定の改正によつて、和教組の民主的運営が毫も影響を受けるものでないことも、明かである。したがつて、以上のごとき定款変更によつて、和教組が職員団体としての基本要件たる自主性民主性を失うわけではないから、和教組が右定款変更の登録手続をしていないからといつて、現在の和教組の登録が効力を失つているというのは、当らない。

以上により、和教組が登録当時と組織の同一性を失い、登録された職員団体ではないという控訴人等の主張は、理由がないから、控訴人等は、右を理由として被控訴人等の専従承認の申出を拒否し得ない。

(五)  公務の支障について

専従承認の申出に対する控訴人等各市教委の承認行為が覊束行為であることは、理由の冒頭で説示したとおりである。そこで、控訴人等の、専従承認は公務に支障があるとの主張について検討する。

1.当審証人宮井竜、福井栄一、平井啓次郎の各証言を綜合すると、県教育委員会(以下、県教委という)から昭和三四年三月頃県下市町村教委に対し、「非職員をふくむにいたつた和教組は、不適法な職員団体であるから、市町村教委が昭和三四年度の新役員に専従休暇を承認しても、県教委としては、専従者の後任を補充しない」旨の指示があつたので、控訴人等各市教委は、県教委より後任の補充がない限り、被控訴人等に専従許可を与えては、公務に支障を来たすものと考えて、被控訴人等の本件専従申出を拒否したものであることが認められる。

ところで、和教組が岩尾覚ら七名の被免職者を構成員に包含しても、不適法な職員団体となるものではないこと、以上に説示したとおりである。そうすると、県教委が、和教組の専従者に対する後任補充権をもち、かつ、団体交渉において和教組の相手方に立つべきものとして、使用者的立場にありながら、その組織構成上適法な職員団体である和教組を、違法視して右のごとき内容の指示をしたことは、和教組に対する支配介入行為として、許されないところといわなければならない。県教委の右の一般的指示は、結局、県教委が、違法に補充を行わないことに帰する。したがつて、控訴人等各市教委は任命権者たる県教委が違法に補充を行わないことによつて作為的に起こされる公務の支障を理由として、本件専従不承認処分をしたものであるが、かくのごとき公務の支障は、本件の各専従条例にいう「公務に支障」ある場合に全然該当しないというべきである。したがつて、控訴人等の右理由に基く本件専従不承認処分は、違法である。

2.控訴人等は、和教組の専従者の人数は、他の都道府県に比し、多いから、公務に支障があると主張する。

控訴人等が当審において、本件不承認処分の理由として、右主張を追加することは、訴訟法上、許されるところであるが、上記一、の(四)で述べたごとく、和教組の昭和三四年度の専従役員は、被控訴人等をふくめて全員、所管の教育委員会から専従不承認処分を受けた事実に徴すれば、控訴人等の右主張は、被控訴人等に対する本件不承認処分の理由づけとして、具体性を欠き、主張自体理由がない。

3.控訴人等は、不承認のまま専従活動を強行した者に専従許可を与えることは、教育秩序を乱し、公務に支障があると主張する。

本件の各専従条例にいう「公務」の「支障」とは、職員が教育の場を離れることによつて生ずる客観的な支障をいい、控訴人等主張のごとき規律違反による教育秩序への悪影響のごときは、右条例の専従承認の基準としての、公務の支障に当らないし、本件においては、不承認処分の違法性の有無に対する判断が先決問題であるから、控訴人等の右主張は理由がない。

4.控訴人等は、被控訴人惣坊および平尾の両名につき、停職者又は起訴休職者を専従者とすることは、教育秩序へ悪影響があるから、公務に支障があると主張する。

控訴人等各市教委は、教職員の本来の勤務関係の面で、その服務監督あるいは県教委に対する内申に際し、教職員の適格性を評定することができるにしても、専従承認の申出に対する許否に当つて、当該教職員が停職者又は起訴休職者として、全体の奉仕者たるにふさわしくないという観点から、専従者としての適格性を論ずるがごときは、職員団体に対する支配介入として、許されないところといわなければならないし、又、それら教職員の専従活動の教育秩序への影響のごときは、上記3.で公務の支障を説明したのと同じ理由から、本件各専従条例にいう「公務に支障」ある場合に該当しない。

(六)  結論

以上の次第で、控訴人等が本件専従不承認処分をした根拠は、いずれも理由がなく、その不承認処分は違法といわなければならない。したがつて、その不承認処分を取り消した原判決は、結論において、相当であり、本件控訴はいずれも理由がない。

よつて、民事訴訟法第三八四条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 沢栄三 裁判官 木下忠良 裁判官 寺田治郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例